陸前高田市議会 2022-12-05 12月05日-03号
市といたしましては、完成してからでは見ることができない主屋の屋根組や土壁内部の竹組など、気仙大工左官のたくみの技のすばらしさと最新の技法を用いた耐震対策など、江戸時代と現代の技術が融合した復旧の過程を観光、教育資源として知っていただくとともに、建設業協会や観光物産協会などの関係機関と連携して情報発信を行うことなどにより、さらなる誘客を図ることに努めてまいりたいと考えているところであります。
市といたしましては、完成してからでは見ることができない主屋の屋根組や土壁内部の竹組など、気仙大工左官のたくみの技のすばらしさと最新の技法を用いた耐震対策など、江戸時代と現代の技術が融合した復旧の過程を観光、教育資源として知っていただくとともに、建設業協会や観光物産協会などの関係機関と連携して情報発信を行うことなどにより、さらなる誘客を図ることに努めてまいりたいと考えているところであります。
旧公民館ホールを活用した民具保管庫は、江戸時代から昭和40年代に使用されてきた農具や生活用品を中心に展示され、小中学生の学びの場として活用されていますが、展示の工夫や民具の劣化防止をする必要があります。 本市には、市民にあまり知られていないカワシンジュガイの生息地や、各地域から見える岩手山麓の風景など、たくさんの自然の魅力があるため、魅力の発見にとどまらず、発信することも重要です。
前にお話ししましたけれども、江戸時代の幕末あるいは朝鮮戦争の直後ぐらい、日本のGDPが世界の中で3%程度だった。一番大きいときはバブルの頃で16%。今は3%近くなってきて、近い将来1.6%になるという予想も出ています。
江戸時代には、この陸中海岸で取れた海産物の輸出、江戸登船や蝦夷松前渡海船の絶好の停泊地となり、廻船問屋や海産物の仲買商人たちが軒を並べました。また、幕末の戊辰戦争における海戦の舞台にもなり、歴史にその名も残しております。明治維新後も三陸沿岸随一と言われた宮古港は、船舶の大型化や物資の増加に対応するため、埋立工事や港の改築、防波堤建設などが行われ、現在の姿を形づくってきました。
◆13番(大村昭東君) 消防水利について、そういう集落近くの水路は古い時代から、大げさな話しすれば、田んぼができたときから、江戸時代から慣行水利権は地域住民にあるわけです。そういったこともやっぱり大切にすることが必要だというふうに感じておりましたので、聞いたところでございます。 次に、中山間地域の振興対策について尋ねます。
まるで江戸時代の人頭税と言わざるを得ません。全国知事会の要望である1兆円の公費の導入で、抜本的な提案をすべきと考えますが、市長の考えを伺います。 ◎健康福祉部長兼福祉事務所長(丹野宗浩君) 議長。 ○議長(日向清一君) 丹野健康福祉部長兼福祉事務所長。 ◎健康福祉部長兼福祉事務所長(丹野宗浩君) 滝沢市といたしましては、子供の均等割の軽減というところをこれまでずっと提言してまいりました。
初めに、釜石港が今後果たすべき社会的役割及び今後の展望についての明確なビジョンをとの御質問ですが、釜石港は、江戸時代から東廻海運の重要港として繁栄し、明治以降、鉄鋼及び関連貨物の取扱いを中心に港勢が発展してまいりました。
その上で、新花巻図書館整備の基本方針、目指す姿として、本市は、宮沢賢治や萬鉄五郎をはじめとした多くの先人を輩出、江戸時代の先人を顕彰した鶴陰碑に記された人々は、自らの研鑽に精進し、学術文化はもとより、地域や産業の振興と発展、そして後継者の育成に努力を重ねてきた。花巻には歴史的に学びの風土があり、この精神は私たちも次の世代に受け継いでいかなければならない。
特にも屋根の修理に当たりましては、修復作業の際、天井裏から江戸時代の屋根ぶき材が発見されたことなどから、建立当時と同じく杉板を重ね合わせるとちぶきでの修復が行われております。屋根の修復には、本堂、仁王門合わせて杉板が約7万枚使われておりますが、その中の約2,000枚には、市内の小中学生の夢や希望が記されております。
講演会の講師としては、和歌山県新宮市の市長が会長を務める熊野三山協議会からお二人をお迎えして、世界遺産熊野をひも解く講演と江戸時代の熊野詣を落語で表現した創作落語、熊野詣を演じていただいたところでございまして、市内外から多くの方、150人ぐらいの方々が参加されましたが、歴史的、文化的な理解を深める機会となり、令和3年に開催される予定の室根神社特別大祭の開催に向けての機運の醸成と宣伝が図られたと思っております
高山市内においては、日本家屋など古い建物で構成される商店街のほか、江戸時代から明治時代に建設された高山陣屋など、一部復元しておりますが、古い建物があるほか、観光施設として高山祭の屋台を展示する屋台会館などの観光施設も整備されております。 このような公共施設、観光施設について聞いたところ、屋台会館は昔はすごく人気があったと。
農家レストランんめぇがすとは、衣川に建てられていた江戸時代の古民家をサンホテル衣川荘に隣接する場所に移し、以前は民芸屋敷として活用されていました。平成14年には茅葺き屋根の補修工事を行い、それを機に昔の家の雰囲気を残しているこの建物をレストランとして立ち上げ、今日に至っています。
江戸時代から鋳物や植木などの産業が発達し、現在は住宅都市化が進んでおります。 平成22年3月に議員提案による「川口市中小企業振興条例」が制定され、同条例の規定に基づき、平成23年4月に「川口市産業振興指針」が策定されました。
この今出山は、金山としての一面も持っており、開発は古く、平安時代と伝えられており、江戸時代には伊達藩直轄となり、近代では昭和6年から再開されましたが、昭和18年の金山整備令により休山となりました。昭和25年ごろより精錬を再開しましたが、金の生産が少量であったことから、昭和30年に休山し、昭和37年に廃山となったところであります。
ですから、これは江戸時代からやっているように、水を高いところの頭首工から引っ張ってきて、低いほうに自然流下で流すと。矢櫃川もありますし、戸沢川もあります。こういう議論もされたのですけれども、当時は資金も豊富にある、それから電気料も安いというようなことで、人工的なものを構築したのですけれども、今40年たって、この段階になると負の遺産になっているわけです。
留守家としては、鎌倉時代から戦国時代まで江戸時代以降は水沢伊達家が当主を継いでおります。戊辰戦争敗戦に伴って、水沢伊達家は所領が没収されたため、明治2年に水沢城が胆沢県庁として使用されることになったため、新政府に接収されているという経緯があります。
伝建保存地区は、武家屋敷が江戸時代の町並みを今に伝えるとして選定されたものですが、歴史をさかのぼれば、金ケ崎城の存在が武家屋敷群を構築していると言えます。建物は現存しませんが、かつてここに貴重な歴史があったことは事実です。保存事業計画では、町指定史跡でもある金ケ崎城跡の保存整備に努めるとしています。現在の状況をお伺いします。 ○議長(伊藤雅章君) 教育次長。
大名の南部氏とのかかわりからしますと、南部氏の御当主、大名あるいはその奥方等が江戸時代に台温泉に湯治に行ったという記録がございまして、やはり南部氏にとって領内でも大変泉質がよくて健康にいいというかそういう温泉だとそういう評価があった由緒のある温泉でございます。
もともと、江戸時代までは宮古にもイノシシがいたとされていますが、数年前までは目撃情報すらなかった野生動物で、ある意味、外来種の動物みたいな存在であります。年々、シカやクマ、イノシシの個体数は間違いなく増加しており、実施隊員の高齢化は進み、銃による捕獲だけではこの野生鳥獣の被害拡大を防ぐことはできないことが明らかであります。
年度に一関で初めて捕獲後、17年度には8市町村で80頭、内陸部では雫石、沿岸では山田町での捕獲が北限とされてきましたが、その後昨年10月に洋野町で捕獲、捕獲実績はないが、滝沢市、遠野市、釜石市、宮古市、隣の一戸町、今先ほど言ったように、二戸の浄法寺地区で目撃情報が寄せられたとおり、県内で広く分布されているということでイノシシというと暖かい地域かなと思っていましたところが、ちょっと調べてみましたら江戸時代